nanohanarun’s diary

気ままなブログ、エッセイ等書いています。

不都合な真実 16

 時代は変わり、これは私も親となった時代の事です。いざ自分が親になってみると、不思議な物です、私も自分の子に余計な事を話した物です。拠り所のない子の心に何かしら心に心棒を持つ事が出来たら、と思って話をして仕舞ったのです。もしかしたら、先祖は歴史上の人物かも知れないと、昔私の父から聞いた通りの話を私の子に語って聞かせました。

 親戚の人が…の下りから始まって、祖先が〇〇〇〇だったと、書付を遡る調査をして分かったという所迄です。私の話を聞いた子は、そんな昔の事分からないでしょうと答えました。私は『やっぱり親子ね!』と微笑むと、自分の子供の頃と同じ我が子の答えに喜びました。そうして、真偽の分からない話だから、『そうだったら良いな』と、我が家の夢の話だと思っていれば良いのだからね、この事は誰にも言わないようにね、と子供に口止めして置きました。私の家庭ではそれっ切り、親子でこの話をした事は無いのですが、後年、当のこの話を始めた中心人物、父からそうと聞いていた親戚のその人が、或る日私の実家へとやって来ました。

 当時もう私は子と共に両親と同居、実家暮らしでした。この日は父と私、子もいたかも知れませんが、母は仕事で留守だったようです。私は客間に挨拶に出て、「調査して来てくださったお陰で私も子も肩身の広い思いをします。」と、その親戚の方に申し上げた所、その方は別に悦ぶ風でも無く、やや目に微笑を湛えた顔付きで、私の父を呼んで来てくれと仰いました。

 部屋から出ようとした私に、「その話を何時聞きました?。」と仰るので、私は小学校2年か3年の頃と答えました。そんなに早くからと、その方はやや意外そうにしておられましたが、続いて兎に角父を呼ぶよう仰るので、私は客間から下がって来ました。

 私と入れ替わって父が客間にはいると、父は親戚同士で何やら話していた様子です。その後私がいる居間に下がって来た父は、無表情でしたが強張った顔付きをしていました。客間でにこやかに親戚同士、会話を終えてから父は戻って来たのだろう、私が前以て親戚に感謝の気持ちを伝えていたので、親戚も父も円満に会話出来て、彼は晴れ晴れとした笑顔で帰って来たのだろう、そう思い居間で父を迎えた私は、この時の父の表情の硬さに驚きました。

 『何かあったのだろうか?。』私は訝って父を見詰めていましたが、この時の父は私に何も語ろうとしませんでした。程なく、親戚の人は家から出て帰宅して行かれました。私がその親戚の方と顔を合わせ、直に話しをしたのはこれが最後となりました。

 さて、この親戚の方が亡くなり、私の父も亡くなり、母が高齢の為施設に移ってから、私はそれ迄我が家の仏壇の中に有った、未完の儘の過去帳を書き始めました。既にもう情報化時代です、私はインターネット検索をフル活用しました。そうして仏壇の中に有る位牌に載っていた、初代の人物から書き初め現在迄書き継ぎました。家の墓が立てられたのは江戸後期でした。初代は今の姓になった最初の人物です。その人から現在迄、もう8、9代目位になったでしょうか。それぞれの没年の年度等、西暦と元号の年度を合わせたり、祖先の順番を確認したり、我が家の出身地の郷土史と、我が家の代々の先祖の書付を参考にしたりして、私はのんびりと各々の代のその時代の職業を考察したりしていました。

 そうして一応ですが、私は過去帳を完成させるとホッと一息、胸を撫で下ろしました。何故なら、私は子供の頃から家の大人達が過去帳を完成しないと、とか、完成出来ない、とか、折に触れ彼等が口にしていたのを聞いたからでした。インターネットって本当に画期的で便利です。私が作業に入ってから4、5日で帳面は完成をみました。

 こうして私が我が家の念願の課題を1つ解決してから数日後、私はパソコンを前に椅子に腰掛けていました。するとふと昔父から聞いた例の祖先の件を思い出しました。『ちょっと検索してみよう。』、私は興味を惹かれました。昔から私には真偽の分からなかった一件です。今ならインターネットで検索すれば何か分かるかも知れません。